ケチャッ 『ブラキウプスピタジャヤ』インタビュー

数多くあるバリ島の芸能の中で、ジャサツアーが太鼓判を押す”ケチャッ ブラキウプスピタジャヤ”グループについてご紹介しましょう。
このチームは、バリ島で行なわれるケチャッコンテストでも第一位を誇る、やる気、まとまり、ケチャッに対する姿勢や情熱のある唯一のチームであり、舞台構成なども工夫されて、大変見ごたえあるケチャッグループです。
特にクオリティーの維持ということにかけては、リーダーであるイダ・バグ-ス・マス氏はもちろんのこと、
その熱意が充分に団員に伝わっています。又、STSI(インドネシア芸術大学)において、ケチャッを専門的に学び、教授をしながらこのグループのリーダーを務め、ケチャッを他の村々にも指導しているイダバグース・マス氏の右に出る者はないと言われています。
今回は、このグループ”プスピタジャヤ”にスポットをあて、その生い立ちや魅力についてお伝えしよう。


<リーダー・IB.マス氏とケチャッ>
もともとケチャッはサンヒャン(トランス)ダンスのバックコーラスとして作られたもので、ギャニャ-ル県ベダクル村、ボナ村を中心に1935〜70年の間に盛んに行なわれ、バリ島の観光化とともにデンパサール、バドン、ヌサドゥアなどに広がっていった。1970年代の約10年間、イダ・バグ-ス・マス氏は観光業に就いており、観光客がバリの芸能を鑑賞するためのアレンジに従事していた。当時は、特別観賞用として演じられているものはなく、旅行会社と各バンジャールが協賛していたという。その仕事のおかげで彼は様々な芸能に触れる機会を持ち、何が良くて何が魅力かということを学び、貯積していった。
1980年代、このブラキウ村にはまだケチャッはなく、ゴングラーマヤナと呼ばれる、ラーマヤナ物語に沿ったゴングが村の芸能としてあった。ホテル等のディナーショーなどに出張していたが、当時の報酬はわずかで、若者が継ぎたがらなかった。氏はこの村の芸能・芸術を盛り上げ、次代に残したいという熱意から、1982年STSIにてケチャッを専攻した。ケチャッは体力が勝負ということもあり、練習も難しいのではないかと懸念されたが、あえてケチャッを選んだという。主な理由としては、楽器を使う必要がなく、コスチュームも質素であることから、資本がそれほど必要でないということ、また年齢の制限がないところだった。
当時、ケチャッに関する資料や本はほとんどなく、師と呼ぶならばSTSIの学長にもなったディビア氏で、自分のアドバイザーとなって、ケチャッの指揮者(ジュルタリック)のテクニックを教えてもらった。
半年間、ハワイ大学でケチャッを指導することも、ディビア氏から信頼を受けて任されたという。
イダ・バグ-ス・マス氏の団員への指導への責任感と情熱は強く、団員に対しては大変厳しい指導者と言われる。
しかし、氏の指導の情熱が団員に伝わって、演技中は団員は指導者である彼の思いを受け止め、見事に演じて見せるのである。
現在は、プスピタジャヤのリーダーをするかたわら、各地のケチャッグループの指導、消えてなくなったケチャッを復興させることに力を注いでいる。



<ケチャッの魅力>
なぜ、ケチャッがこれほどまでに氏を魅了したのか。ケチャッの魅力についてリーダーの言葉をここに抜粋する。
「ご存知のとおり、ケチャッは楽器というものを一切使わない。男性の声だけを音楽として用いるものである。つまり何千人という人のエネルギーが一つになる。おそらく楽器を用いた音楽は、楽器を使う者のテクニックで勝負が決まるだろうが、技能云々という前にもっと人のエネルギッシュなほとばしりを直に感じることが出来るのが、ケチャッの大きな特徴である。
さまざまなリズムやメロディー、テンポが一つになった時、又それに伴う動きが一つになった時、はじめて演じる側の結集されたパワーを感じる。これほど楽しいものはなく、これほど美しいものはない。
特にトゥカンタリック(指揮者)のひとつの声、動き、目配せによって全員がそれに従うため、その役割の大きさはオーケストラの指揮者にも価するものだ。」


<伝統的な形式と新しいもの>
もちろんトラディショナルなものも大切。又これを繁栄に導くためには新しいものも取り入れなければならない。
ケチャッの代表的な物語として取り入れられるものはラーマヤナ物語のラワナという魔王が、人妻であるシータをさらう部分である。トラディショナルな部分では、この物語に沿った流れを変えることはできない。つまり物語の起承転結の流れである。
起 : カウィタン    事の起こり
承 : プンクウァット  人妻がさらわれる部分
転 : プシアット    戦い
結 : プカアッド    結末
これが基本となり、これを離れたものはコンテンポラリーと言われるものだろう。この中でも承の部分とその後の間奏の部分は新しい動きや、工夫をこらして構わない部分と言える。
ケチャッを若い世代に伝えるためには、あたりまえのこと、昔ながらのことばかりを演じてばかりでは魅力が薄れ、飽きてしまうので、若い世代にもすんなりと受け入れられる新しいバリエーションを加えていくことも大切である。ケチャッという芸能をこの村で出来る限り保存していきたいし、次の世代、次の世代へとつなげていきたいと切に願っている。


<夢>

現在でもケチャッに関する本や資料は数少ないが、いずれはケチャッを勉強したい人の為の本を書き、次世代や世界
の人たちの為に残していきたいと思っている。


<大人の団員と子供の団員>

総勢60〜70名の団員の中には親子でたずさわっている者が数組いる。おやじと息子。二代にわたりケチャッを演じている。年齢の幅は現在13歳〜60歳といわれる。
子供たちの楽しみは、ケチャッをやるたびにたくさんの友達と集まって一つのことをすること。もちろん情報交換の場にもなる。もう一つは何回かの公演で収入が入ること。これは月々の学費となる。自分の学費を自分で作り出す。親に頼らず独立するということの第一歩をここで学ぶ。
難しいことは何もない。大人の人たちがいつも助けてくれる。何より、自分の村の文化を維持していきたい。
大人たちの立場としては、まず文化のある環境を保持し、見本を見せていくことが大事だという。
お金がたくさんあることだけが決して幸せではない。自分の村の文化と習慣を伝え、ケチャッだけでなく、他にもある祖先から受け継いだ文化を伝えていきたい。子供たちが自分たちの文化に関わること、参加することは親として、大人として大変誇りに思っている。子供たちが仲間入りすることで、彼らが飽きることのないよう気をつけて教えていく。この子たちは参加する以前、幼少の頃から大人たちの演技を見てきたので、指導に困難なことはそれほどない。大人と大人の間に子供を配置し、引っ張っていくようにしている。
もちろん、皆、すんなり覚えていくわけではなく、芸術の才能に欠ける子供も中にはいるが、やる気さえあれば何でも出来ると思っているので、根気よく教えていく。
声を出し、体を動かすことは、スポーツをすることと同じくらい爽やかなものだ。
公演の際に出ても出なくても特に罰を受けるなどの規則は何もない。ただチームの一員として責任と誇りがあるから、本当に都合が悪い時でない限りは出る。
子供たちには勉強もあるし、文化を守っていくことも両方大切になる。大人としては学校に通うこともないがしろにしないように伝えている。将来に向けて夢を実現させていくには基本的な勉学が不可欠であるからだ。次に村の芸能を保存することだと思っている。



<観客と演じる者>
ケチャッを演じる中で大切なことは、観客と演じる側のお互いのコンタクト。
観客に芸能を理解してもらうことも大切だと思っている。それと同時に演じる側が熱意をもって演じ、エネルギーを一つにすることを成功させること、そこでお互いに感動が生まれると思う。
バリのどんな芸能もタクスーなしでは観る者に感動を与えることは出来ない。ニスカラ(目に見えないもの)のパワーが必要である。神との交信の中で上から降りてくる光が演じる者の中に入る。これをタクスーという。ケチャッもしかり。
もちろん多くの中にはタクスーの入らない者もいるが、タクスーの入った者はそれらの者さえも巻き込んで光を与えてしまうほど影響を持つ。
演ずる前にティルタ(神のパワーの入った聖水)をもらう。地域周辺にある決まった寺院への参拝も欠かさない。神のおかげで演ずること、安全が保たれていることに感謝するためである。
公演場所内にある氏寺(Pura Sari)は家系によって守られてきた寺院である。ここにも決まった日に必要な供え物をする。これは大変古いもので、いつ頃からあったのか定かでない。舞台の上に傘のように広がる樹齢200年以上とも言われるガジュマロの樹は、不思議なパワーを持っている。時々、蛇が現われるが、これは守り神に化身として守っている。
ここで演じる時は外へ出張して演じる時と全く違う感じがある。目に見えない力が働いていると感じる。全員が安心して演じることができるし、多くの場合、ベストな公演に導いてくれている。